実行委員からのメッセージ

ちょうど20年前、若い映画監督たちと一緒に、仲間たちとゆうばり映画祭の中で自主上映会を始めました。当時メンバーだった夕張青年会議所に持ち込まれた話だったのですが、反対する他のメンバーもいて準備は難航しました。でも、何とかやり遂げ継続しました。

ゆうばり映画祭は市民が自主的に始めた企画によって豊かになってきた歴史が過去にあります。「ストーブパーティー」もそうですし、観客賞「ファンタランド大賞」もそうです。私たちが始めた「ミッドナイト・シアター」そしてその発展形の「フォーラム・シアター」もそうですし、それらがなければ映画祭の復活もなかったと思います。

細々と始めた市民企画上映でしたが、当時の若手監督たちは日本映画の中心で活躍するようになり、当時と変わらない関係を今でも築けているのは私たちの宝です。

今、夕張市は人口減少、少子高齢化が進み、若い人たちの働く場所も満足にありません。ただ、そのような状況の中でも、かつての私たちのように遊び心を持って、でも互いに真剣に向かい合って様々なコミュニケーションが出来る場をつくることが、私たち世代が若い人たちに向けてできることだと考えています。

今の夕張を取り巻く状況に叛逆したい、そんな気持ちで「ゆうばり叛逆映画祭」を実行します。若手世代よ、おじさんたちが責任持つから面白いこと何かやろうぜ!

 

ゆうばり叛逆映画祭
実行委員長 野田慎也


1995年、はじめて ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭に自主映画「限界人口係数」を出品し、審査員特別賞を受賞した時から、夕張との僕の関係は始まった。当時の僕は仕事も無く、特殊メイクや特殊造型のギャラはプリン1箱のときもあり、照明部をやって食いつないでいた。何本も夕張で自主映画の撮影に関わり、地元夕張の有志、伝里雅之さんや澤田直矢さんが立ち上げた 若手監督を応援する市民企画 フォーラムシアター の手伝いをする事になった。毎年のようにゆうばり国際ファンタスティック映画祭(いつのまにか冒険という文字がなくなっていたが)の片隅で、若手監督による若手監督の為のフォーラムシアターの手伝いをした。本祭はそれを認めず、異端の場所として暗黙の了解で続けて来たが、いつしかそれが本祭に取り込まれた。その頃、夕張市が破綻し、映画祭は市の運営ではなくなり、映画祭もNPO法人になり、なぜか異端者の澤田さんが本祭の代表になり、映画祭は復活したものの、つまんねーーー映画祭に成り下がっちまった!日本でファンタスティックという名のつく映画祭はここ ゆうばり だけだ!つまんねーーーセレクション! マンネリ化したプログラム!ソウコウしてるうちに、澤田さんの会社が破産し、澤田さんは代表から降ろされた!おまえら!破綻したくせに、破産した奴には厳しいんだな!ホントにつまんねーーー奴らに一石投じてやる!澤田さんと ゆうばり叛逆映画祭 を立ち上げ、若手監督達の応援し、そしてファンタスティック映画祭とは何かをもう一度皆に知ってほしい!そういう思いだ!

作品は俺の独断と偏見で決める!誰からも文句は言わせねえ!!

作品観てほしい奴は応募して来い!

2018年ゆうばり叛逆映画祭 を実行する!

観たい奴は観に来い!

みんなで冒険しようぜ!

ただそれだけだ、損はさせねえ!

ざまーみやがれ!ばかやろうーーーー!

 

ゆうばり叛逆映画祭実行委員 映画監督 特殊造型プロデューサー
西村喜廣


一昨年、私はゆうばり国際ファンタスティック映画祭の役職を全て降りた。あまりにも突然だったのでそのことに違和を感じた方がもしかしたらいるかもしれないので、まずその経緯をここで率直にお伝えしたい。

2016年ゆうばり映画祭の終了直後に本業の経営していた会社を倒産させてしまった。映画祭を支援していただいている協賛企業や運営を支えるボランティアスタッフ、夕張市民、スタッフに私を理由に少しでも迷惑をかけるわけにはいかない。そういった理由でNPOゆうばりファンタの代表を自発的に辞任した。新たに役職を担っていただいている方々には本当に感謝しています。

ただ、自ら下した「ゆうばり映画祭との関わりを一切断つ」というのは難しいことだった。2017年のゆうばり、顔を出したくないと思いながらもどうしようかと逡巡していた私に声をかけてくれたのは古くからの友人西村喜廣。デリケートな状況を全て理解したうえで「澤田さん、またフォーラム・シアターやらない?」と提案してくれた。

20年ほど前、西村や地域の仲間たちと一緒に夕張を舞台に自主映画をつくっていた。ゆうばりのコンペで賞を取ったはいいが食えない映画監督と地元夕張の冴えない有志が協力して作った映画。ちょうど10周年のゆうばり映画祭でプレミア上映だ!と意気込んで事務局に青臭さと空回りする情熱で掛け合うが瞼もホロロ。居酒屋で文句ばっかり言っていてもしょうがないので、じゃあ自分たちで場所を作ればいいのでは?そんな経緯から始めた自主上映会がフォーラム・シアターだった。映画祭をもっと盛り上げるため勝手に良かれと始めたゲリラ上映だったが、各方面から相当怒られた。しかしながら陰から応援してくれる人もいて、その後オフィシャル・プログラムの一部となった。叛逆児たちに小言を言いながらも受け入れ居場所をつくってくれた、そんな懐の深いゆうばり映画祭を今でも愛している。

そんな中、2006年夕張市の財政破綻が明らかになり映画祭の存続が危ぶまれた。紆余曲折あって結局私を中心にして舵取りをすすめることになり、山あり谷ありの運営だったが様々な皆さんのご協力、ご支援により今でも継続できている。まさに奇跡だ。

西村の提案を受けて、今の自分にできることが本当にあるのかを考えた。いろいろ大切なものを失ったが自由は失っていない。厳しい状況を励まし支えてくれる人たちも沢山いた。愛するゆうばり国際ファンタスティック映画祭のためにどうすれば役に立てるのか。10年前に映画祭を復活させようとしたときの初心はどこへいったのか。今まで関わっていただいた人たち、そしてこれから携わってくれるだろう人たちに、日本で唯一ファンタを名乗る映画祭というこの場所で、その素晴らしさを共感してもらいたいという気持ちは変わらない。様々な思いが胸を行き来するなか決断した。

ゆうばり叛逆映画祭。これは「ゆうばり」への私からの一方的なラブコールであり、また今までのつまらない自分と決別するための叛逆である。そう、自分自身との戦いなのだ。

 

ゆうばり叛逆映画祭実行委員 前ゆうばり国際ファンタスティック映画祭実行委員長
澤田直矢